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<図書>
エイゾウガク
映像学 58~

データ種別 図書
出版者 東京 : 日本映像学会
出版年 1981-
大きさ 冊 ; 22cm
巻冊次 58 ; PRICE:1200
59 ; PRICE:1200
60 ; PRICE:1200円
62 ; PRICE:1200円
63 ; PRICE:1200円
64 ; PRICE:1200円
65 ; PRICE:1200円
66 ; PRICE:1200円
67 ; PRICE:1200円
69 ; PRICE:1200円
68
70 ; PRICE:1200円
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73 ; PRICE:1200円
74 ; PRICE:1200円
76 ; PRICE:1200円
77 ; PRICE:1200円
78 ; PRICE:1200円
79 ; PRICE:1200円
80 ; PRICE:1200円
81 ; PRICE:1200円
82 ; PRICE:1200円
83 ; PRICE:1200円
84 ; PRICE:1200円
85 ; PRICE:1200円
86 ; PRICE:1200円
87 ; PRICE:1200円
88 ; PRICE:1200円
89 ; PRICE:1200円
90 ; PRICE:1200円
92 ; PRICE:1200円
93 ; PRICE:1200円
94 ; PRICE:1200円
95 ; PRICE:1200円
96 ; PRICE:1200円
97 ; PRICE:1200円
98 ; PRICE:1200円
99 ; PRICE:1200円
100 ; PRICE:1200円
101 ; PRICE:1200円
102 ; PRICE:1200円

所蔵情報を非表示

NFAJ京橋閉架 58 J||S||685 210009685


NFAJ京橋閉架 59 J||S||593 210009593


NFAJ京橋閉架 60 K||S||723 210010723


NFAJ京橋閉架 62 L||S||717 210011717


NFAJ京橋閉架 63 L||S||983 210011983


NFAJ京橋閉架 64 M||S||513 210012513


NFAJ京橋閉架 65 N||S||956 210013956


NFAJ京橋閉架 66 N||S||126 210013126


NFAJ京橋閉架 67 P||S||617 210015617


NFAJ京橋閉架 69 P||S||618 210015618


NFAJ京橋閉架 68 O||S||2 210014002


NFAJ京橋閉架 70 P||S||610 210015610


NFAJ京橋閉架 71 P||S||602 210015602


NFAJ京橋閉架 72 Q||S||130 210016130


NFAJ京橋閉架 73 R||S||149 210017149


NFAJ京橋閉架 74 Q||S||820 210016820

2005
NFAJ京橋閉架 76 R||S||686 210017686


NFAJ京橋閉架 77 S||S||39 210018039

2006
NFAJ京橋閉架 78 U||S||770 210020770

2007
NFAJ京橋閉架 79 S||S||967 210018967

2007
NFAJ京橋閉架 80 T||S||761 210019761

2008
NFAJ京橋閉架 81 U||S||346 210020346

2008
NFAJ京橋閉架 82 U||S||347 210020347

2009
NFAJ京橋閉架 83 U||S||687 210020687

2009
NFAJ京橋閉架 84 W||S||137 210022137

2010
NFAJ京橋閉架 85 V||S||871 210021871

2010
NFAJ京橋閉架 86 W||S||138 210022138

2010
NFAJ京橋閉架 87 W||S||430 210022430

2011
NFAJ京橋閉架 88 X||S||162 210023162

2012
NFAJ京橋閉架 89 X||S||380 210023380

2012
NFAJ京橋閉架 90 X||S||966 210023966

2013
NFAJ京橋閉架 92 Y||S||947 210024947

2014
NFAJ京橋閉架 93 Z||S||177 210025177


NFAJ京橋閉架 94 Z||S||798 210025798


NFAJ京橋閉架 95 A2||S||19 210026019


NFAJ京橋閉架 96 A2||S||852 210026852


NFAJ京橋閉架 97 C2||S||399 210028399


NFAJ京橋閉架 98 C2||S||400 210028400


NFAJ京橋閉架 99 C2||S||401 210028401


NFAJ京橋閉架 100 C2||S||829 210028829


NFAJ京橋閉架 101 D2||S||555 210029555


NFAJ京橋閉架 102 D2||S||556 210029556


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本文言語 日本語
別書名 その他のタイトル:Iconics
その他のタイトル:Japanese journal of image arts and science
その他のタイトル:Eizōgaku
内容注記 58号収録論文:「光、光の痕跡」(長谷川明子)他
59号収録論文:「マニュフェストとしての理論」(斉藤綾子)他
60号収録論文:「ナチスの映画政策」(奥村賢) 「日本映画における近代性の創出 : 松竹蒲田映画『隣の八重ちゃん』(1934)分析」(ミツヨ・ワダ・マルシアーノ) ほか
62号収録論文:「映像」という言葉の成立(坂本浩)/日本映画の1930年代-トーキー移行期の諸問題(藤井仁子)/ドキュメンタリーの意味をめぐる交渉-1930年代のアメリカにおける映画受容-(藤木秀朗)/現代英米映画理論における同一化概念について(北野圭介) 報告:ビデオの記号学(覚え書きII)(飯村隆彦)他
63号収録論:「日本映画と全体主義」(長谷正人) 「映画生成プロセスの政治学」(板倉史明) 「第二次世界大戦とハリウッド・ミュージカル映画」(笹川慶子) 「エチエンヌ・スーリオにおける映画の特色」(片山学) 「マクルーハンの身体論」(柴田崇)ほか
64号収録論:アンドレ・バザンの演劇映画論をめぐって(伊津野知多) 現代英米映画理論における物語概念について(北野圭介) 多言語都市ローザンヌにおけるトーキー映画の興行と受容(北田理惠) 初期上海映画における“現実主義"映画をめぐって(長谷川芳和) 精神分析的映画理論再考『残菊物語』の読解(和田伸一郎)書評:「ロベール・ブレッソン研究-シネマの否定」(武田潔)他
65号収録論文:「日本の近代性とアメリカの映画スター-クララ・バウのイメージ流通をめぐって」(藤木秀朗) 「1930年代ファシスト政権下イタリアにおけるジャンル映画『白い電話Tlefoni bianchi』の考察」(石田美紀)「 第二次世界大戦中のミュージカル映画のナラティヴ-ユートピアとの関係を中心に」(笹川慶子) 書評:ミック・ブロデリック編著「ヒバクシャ・シネマ-日本映画における広島・長崎と核のイメージ」(北村洋)ほか
66号収録論文:文化する映画-昭和十年代における文化映画の言説分析(藤井仁子) 厚木たかと『或る保姆の記録』-戦時下の「働く女性」たちと抵抗の表現をめぐって(堀ひかり) 四角、持続そして子供-清水宏映画作品の空間分析(大沢浄) 戦後日本における中国映画の受容について-初期の「人民映画」を中心に(Ni Yan) 映画における自己反省作用-ジル・ドゥルーズの「クリスタル-イマージュ」の概念に拠りつつ(木村建哉) 身体変容の映画作家デイヴィッド・クローネンバーグ(今井隆介) ほか
67号収録論文:物語る声-家庭小説と新派映画の受容をめぐって(小林貞弘) 撮られなかったショットとその運命-"事変"と映画1937-1941(藤井仁子) 女が猫になるとき-「怪猫」映画『秘録怪猫伝』試論(志村三代子) オペラ歌手ベニミアーノ・ジーリとオペラ映画-ファシスト政権下のイタリア映画論(石田美紀) 劇映画における「語り手」の修辞について(木下耕介)ほか
68号収録論文:葛藤の表出-アメリカのホラー映画研究序説(中野泰) ニュース映画館<誕生期>の興行とその機能(藤岡篤弘) 映画を見ることと語ること-溝口健二『夜の女たち』(1948年)をめぐる批評・ジェンダー・観客(堀ひかり) 人物写真について(城丸美香) 報告『メトロポリス』ディジタル修復版の衝撃-第三回京都映画祭から(大沢浄)ほか
69号収録論文:ヒッチコック『ロープ』再考(碓井みちこ) 言語活動の終焉に向かって-ロラン・バルトの記号論的テクストにおける視覚関係の変遷(松本健太郎) 初期映画における「鍵穴映画」の受容(森村麻紀)ほか
70号収録論文:記念された死-イギリスの炭鉱事故を主題とする初期写真絵葉書をめぐって(乾由紀子) 寺山修司の映画装置論-『蝶服記』(1974)をめぐって(野島直子) 再生する時間-杉本博司「ポートレート」シリーズについて(城丸美香) 「装置」としての視覚メディア-クレーリーとヴィリリオ(和田伸一郎)ほか
71号収録論文:日本における市民映画館の台頭と展開(張智恩) 映像編集が映像の意味に及ぼす効果に関する心理学的研究-「クレショフ効果」を検証する試み-(鈴木清重) 人物造形の方法・古典的物語映画受容における人物の構築について(木下耕介) 「オールド・ジャパン」の表象-横浜写真と19世紀後半の視覚文化-(佐藤守弘)ほか
72号の内容:『アリラン』とは何であったか-韓国抗日民族映画の形成(金麗實) 1920年代ドイツ映画における都市ベルリンの表象(野崎恭夫) もの造りに関する記録映画制作についての試論-撮影上の「ストラテジー」と「タクティックス」(平野大) 山形国際ドキュメンタリー映画祭2003報告(奥村賢) コミュニティシネマによる豊饒な映画文化を目指して-映画上映ネットワーク会議2003参加報告(菅原慶乃)ほか
73号の内容:トーキー移行期の中国語映画における言語と国民統合の問題-広東語映画の製作と「国防映画」をめぐって(韓燕麗) ニューヨークの成瀬巳喜男-『妻よ薔薇のやうに』からKimikoへ(大久保清朗) 犯罪都市のメディア空間-1931年のドイツ映画(野崎恭夫) 東映集団時代劇と近衛十四郎(石塚洋史) 「高度映像都市」のゆくえ-地域情報化政策とハイビジョン(田畑暁生) 公共上映とコミュニティ・シネマ運動の行方-映画上映ネットワーク会議2004参加報告(石坂健治)ほか
74号の内容:伝説のヒロインから国民の表象へ-『木蘭従軍』の受容の多義性をめぐって-(晏妮) ピピロッティ・リストの映像における「ビデオ機械の無意識」と身体-《(免除)ピピロッティのあやまち》1988を中心に(余安里) 荻野茂二の絶対映画?(那田尚史) スイスにおける多言語映画製作と戦後スイス映画の飛躍(北田理恵) メディアの幼年期-マクルーハンのテレビ論を読む(門林岳史) 中華電影の大波に向かって-第二回「両岸三地」映画評論家シンポジウム報告(韓燕麗)ほか
80号の内容: 論文 : キノドラマとキネオラマ-旅順海戦と近代的知覚(大久保遼), 「男」の生きる道 : 戦時下の長谷川一夫と古川緑波(紙屋牧子); 報告 : 中日映像文化シンポジウム「現代映像・視聴覚文化研究」(南京芸術学院、2007年11月1日、2日)(川崎公平)ほか
81号の内容:ぼやけたイメージ、過剰なイメージ-「アトラクション」「物語」に還元されない初期映画のイメージ体験-(松谷容作) ミュージカル映画に対するラジオの影響-1930年代初頭のアメリカにおける娯楽産業との関連で(仁井田千絵) 決戦下の「宮本武蔵」-菊地寛作『剣聖武蔵伝』と溝口健二の『宮本武蔵』をめぐって-(志村三代子) 企画展「ニッポンの映像-写し絵・活動写真・弁士-」(碓井みちこ) 上映企画「生誕百年 映画監督マキノ雅広」報告(紙屋牧子) 展覧会「生誕百年 川喜多かしこ展」(古賀太)ほか
82号の内容:近代日本に現れた「監督者」-1910年代における監督言説の萌芽-(洞ヶ瀬真人) 機会と運動-キートンの自動車ギャグについての考察(長谷川功一) 兵隊を笑う-「兵隊喜劇」の系譜とその位相(小倉史) 「映像論叢」あるいは「映像と言語論争」試論-モンタージュ・映画言語・芸術総合化をめぐって(友田義行) ハイビジョンと映画のメディアミックスに関する歴史的考察(石田武久)ほか
83号の内容:明治期の幻燈会における知覚統御の技法-教育幻燈会と日清戦争幻燈会の空間と観客-(大久保遼) 根拠なき分身-黒沢清『ドッペルゲンガー』における断続の諸相(川崎公平) 色のヴァイブレーション-初期映画における手彩色についての一考察(松谷容作)ほか
84号の内容:ドゥルーズ『シネマ』と「深さ」の美学(岩城覚久) 震えるイメージ、硬直する身体-19世紀末~20世紀初頭における映像と医学の関係についての一考察-(松谷容作) 「民衆」はいかに教育されるか-高松豊次郎と大正期社会教育映画の主題(渡邉大輔)ほか
85号の内容:エドワード・S・カーティスのエスノロジー-映画の移行期における記録と物語の競合-(長谷川詩織) ロイド的運動としての乗り継ぎチェイス-セネット喜劇と『猛進ロイド』(1924)の比較分析から-(長谷川功一) イメージ生成システムとしての映画-ベルクソンと知覚のシネマトグラフ的メカニズム-(岩城覚久)ほか
86号の内容:寺山修司のテレビメディア認識-NHKアーカイブス発掘資料『一匹』(1963)を中心に(堀江秀史)ほか
87号の内容:昭和期日本における幻灯の復興-戦後社会運動のメディアとしての発展を中心に(鷲谷花) 上原謙と女性映画-1930年代後半の松竹大船映画における女性観客性の構築(河野真理江) テオ・アンゲロプロス『アレクサンダー大王』における亡霊の考察(田中晋平) 松本清張「天城越え」映画化にかけた男たち-清張作品と大船映画、最後の蜜月・前編(鶴田武志)ほか
88号の内容:物理演算技術を応用した映像制作手法-『delusional sculpture』の制作に基づく考察(小林和彦) イメージ・プロセッサとしての身体-『ディヴィナ・コメディア』(1991)(岩城覚久) 任意空間と触覚性-ジル・ドゥルーズ『シネマ』における感情イメージをめぐって(鈴木啓文) 映像固有の表現力とは何か-『石の詩』(TBS、1963年)をめぐって(松本俊夫) 松本清張「天城越え」映画化にかけた男たち-清張作品と大船映画、最後の蜜月・後編(鶴田武志)ほか
89号の内容:芸術化する映画-スタンリー・カヴェルの古典的ハリウッド映画論について(木原圭翔) 革命前夜-溝口健二の『唐人お吉』(1930年)(木下千花) ドラマに描かれた自閉症を視聴者は、どう受容したか(1)(高橋秀樹)ほか
92号の内容:D.W.グリフィス『小麦の買い占め』(A corner in wheat, 1909)における運動と経済の関係性について(玉田健太) 実写映像の切り抜きと合成を応用した描画表現-動画ならにび静止画作品の制作に基づく考察(小林和彦) テレビ番組の調査方法と作品リスト作成の意義-映画監督・森崎東のテレビ作品を事例として (木原圭翔) ほか
94号の内容:亡霊たちの視線-オーソン・ウェルズの『偉大なるアンバーソン家の人々』における視点の問題について(川崎佳哉) ほか
95号の内容:映画における/についてのコミュニケーション空間-1920年代日本における興行モードの論理(近藤和都) ほか
一般注記 定価は頒価
100号: 100号紀念機関誌総目次あり
著者標目  日本映像学会 <ニホン エイゾウ ガッカイ>
分 類 TDC:033
TDC:999
書誌ID LB00018169

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